徒然畑

徒然なるままに。

だってそんな簡単に手にできるものじゃないから泣けてくるんじゃないですか

それにしても今回のリオ五輪、日本人選手大躍進でしたよね。

 (今更それ言うかテメエとかいう感想はこの際ご容赦ください)

 

私の周りでも、

オリンピックニュース見たぜ!

日本人選手がんばってるよね!

オリンピック試合見るために夜中まで頑張ったぜ!とかとかな声が

ちらほら聞こえていた8月でした。

 

ところがどっこい、そんな状況の中私は、オリンピックの試合やニュースを、積極的には見ていませんでした。

テレビでの試合は一度も見ていないです。

生中継はおろか、ダイジェスト版でも試合の様子は、見ていません。

 

これを聞くと

「オリンピックにすら関心がない人間なの?」

「興味の有無にしろ一般常識的に見るというのが普通なんじゃ…」

と言ったご意見が人々から寄せられるかもしれません。

 

ただ、勘違いしてほしくないのが、

私はオリンピックに興味がないわけではないのです。

むしろ、今日は日本人選手がどんな結果を出したのだろう、メダル取れたのかな、と気になっていた普通の人間の一人です。

 

では何故あえてあまり情報を追わなかったのか。

泣くからです。

オリンピックのニュースや試合を見ただけで、泣いてしまうからです。

 

最初のころ、私も他の普通の日本人と同じようにオリンピックの結果が気になり

朝通勤電車の中で読んでみました。

読んで一分後、視界がにじんでそれ以上新聞記事を読むことを断念しました。

 

メダルを取った選手、惜しくも逃した選手、

彼らの歓喜の表情、悔恨の表情、日本のメディアが好き好んでつづる選手の裏話…

ちょっと読むだけで、そこにはそれぞれの選手の何かしらの物語があるじゃないですか

ましてやオリンピックと言う選ばれたものたちが集う決戦場、

そんな簡単に立てる舞台じゃない。

だからこそ、そこにたどり着くまでも様々な競争があり努力があり衝突があり様々な人間ドラマがあったはずです。

 

この歓喜、この悔しさには、それまで積み重ねてきた悲喜交々な物語があったんだと思うと、

涙なしにはニュースなんて追うことなんて私にはできなかったです。

 

なので、日々のオリンピックニュースを追いたい気持ちが満々だったにもかかわらず、

追ったらおったで号泣してしまいそのあと到底仕事には使えないっ情緒不安定さを発揮してしまったらそれこそ色々支障をきたすと判断したので

あえて平日はオリンピックのニュースを追わないことにしました。

そして土日にみてボロ泣きしました。

 

何かを成し遂げんとしている人って、

その思いが強い分直面する壁や障害や出会う景色や人々がたくさんあって

その中で邁進していく彼らの姿は、とても魅力的です。

そして、その魅力の裏にある物語も、また魅力的なのです。

 簡単にいかないものほど、泣けてきてしまうって、こればっかしはどうしようもないんですよねえ。

 

ただいつも思うこと。

号泣した次の瞬間には激しい頭痛が追ってくるのは、辛い。