徒然畑

徒然なるままに。

映画「君の名は。」を見てきて「すばらしい!」と思った3つの点 【その3】

ヒットを支えた二つの意識 ―――エンタメ性と大衆性

前回の記事から間が空いてしまいましたが、最後はマーケティング的なすばらしさと言う観点から。

私自身、どういう言葉をチョイスしようか迷ったんですけど

この映画を見終わったとき、「うまいなあ~」という感想を抱いたんです。

それは同意味で「うまいなあ~」と思ったのかを、述べていこうと思います。

 

新海監督作品と言えば「秒速5センチメートル」が代表作、と言う風に

君の名は。」が登場する以前はファンの中での定位置化していましたが

新海監督曰く、「常に新作は前作を超えるものを作りたい」「皆さんから好評をいただいた『秒速』を超える代表作を作りたいという思いはあった」と以前の記事(第一回)の動画の中で語っていました。

(過去のインタビューでも「一番最新の作品がつくってもらえるように」と言う心がけは常に持ち続けていた方だとうかがえます。参考はこちら↓)

www.anikore.jp

そんな各作品に自分なりのマイルストンを設定して作品作りを行ってきた新海さんの集大成が今回いかんなく発揮された結果となりました。

 

この集大成を発揮するにあたって、

前回、前々回で述べたような新海さん自陣の作品の個性が持つ魅力が詰まっているだけではなくて

「エンタ―テメントとしての側面」という点と

「一般の人々にいかにアニメを届かせるか」という点を新海監督が自覚的に行い、制作側も協力したからこそ

爆発的なヒットをかましたのではないかと考えています。

 

その二つの意識が要となっているとうかがえるインタビュー記事がありましたので

ちょっと紹介します。

※途中新海監督のコメントは以下の記事から抜粋しています。

 

kai-you.net

kai-you.net

www.animatetimes.com

◆「エンタ―テメントとしての側面」という意識

このインタビュー記事にも書いてありますように、「君の名は。」では今までの作品の中でも特に目を惹くくらい前向きな空気を醸すようになりました。

本人曰く「言の葉の庭』と『君の名は。』の間にした色々な仕事からの連続性」の結果としてこの空気になった、と語っています。

 新海(以下敬称略)『なかでも本作をつくるうえで最も大きかったのが、「ダ・ヴィンチKADOKAWA)での小説版「言の葉の庭」の連載です。
およそ8カ月、オムニバス形式の連載だったので、ひと月ごとに物語を完結させる。それらは今思えば、物語づくりのトレーニングとして、「君の名は。」につながっています。1話を書くにあたって、数冊の本を読んだり、数人の人に会って、話を聞いたりしていて、創作に関わる一連の活動で得た手応えや手つきを使ったという意味で、「君の名は。」にも連続性を感じますね。

 

そして、そういった仕事の中で物語作りの力を蓄え本作の製作に取り掛かった際に

監督は「なにかしらの願いの物語にしたいという気持ち」を念頭に置いて邁進していったと語っています。

 

新海『東宝で300館規模だから、とかではなく、なにかしらの願いの物語にしたいという気持ちがありました。震災以降、大きな事件や災害があった中で、いろんな人が願ったり祈ったりした気がします。「こうじゃなかったらよかったのに」とか「こうすればよかった」と。
2010年代は、そういう、社会全体が強い願いや祈りに支配された時間が何度かありました。現実で実際に叶ったもの、叶わなかったものがあったと思いますが、フィクションでは、そこに希望を込めた物語を描きたかったんです
例えば「秒速5センチメートル」をつくったときは、そういう感覚がなかったんだと思います。強い願いや祈りみたいなものを持っている人は個々にはいたんだろうけど、社会全体としては持っていなかったと思うんです。みんなが実際に体験したことだからこそ、絵空事ではない、もう少し生の感覚として描けると思って、今回のような結末を描けたんだと思います。』

 

つまり監督はこの「君の名は。」に関しては特に見ているお客さんの等身大の気持ちに寄り添うことを意識し、

そのためにエンターテイメント性を高めることを狙ったと考えられます。

 

例えば、今回この作品において監督はお客さんの気持ちの上がり下がりを完全に把握したうえで作品を完成させる、という試みを重視したと語っています。

 

新海『「君の名は。」の上映時間である107分間をいかにコントロールするかは、僕にとっての大きな仕事でした。具体的に言うと、107分間の観客の気持ちの変化を、自分の中で完璧にシミュレーションする。過去の作品では把握しきれなかった時間軸を、今回は完全にコントロールしようと思いました

とにかく見ている人の気持ちになって、できるだけ退屈させないように、先を予想させない展開とスピードをキープする。一方で、ときどき映画を立ち止まらせて、観客の理解が追いつく瞬間も用意する。それらを作品のどの場面で設けるか、徹底的に考えました。

 

また、「言の葉の庭」 から関わりがある東宝アニメーション側の意見もうまく取り入れて作品に反映させている節も見られます。

特にプロデューサーである川村元気氏からのアドバイスは新海監督も積極的に向き合っており、度々インタビューの中でもお話を伺うことができます。

これまで数々の映像作品を世に送り出してきた大手と言うこともあり、

大衆向け映像コンテンツはどういうツボを押さえると売れるのか、と言う視点に関しては東宝はプロフェッショナルです。

そういう「エンタメを売るプロ」の視点も交えながら作品の方針を固めて言った姿勢からも

今回の作品をよりいろんな人に見てもらおうという意気込みは特に強かったのでしょう。

 

新海監督はもともとおひとりで自主製作のアニメーションから始まったというところもあり、

それまでは作品がいかにウケるかと言うよりも、作品に自身が表現したいものを最適な形で表現することに重きを置いていたと見受けられます。

結果的に彼のその感性が大反響を生んだ最初の作品が「秒速5センチメートル」だったわけですが、

こちらの作品はどちらかと言うといわゆる「玄人ウケ」する作品のため、大衆性と言う意味では今回ほどは意識していないようです。

しかし、作品作りをこなしていくにつれ、作品を作るにつれて監督自身の環境の変化やそれに伴う影響、心境の変化が相まって、

よりお客さんに届けるための作品を、という意識が強まっていったのではないかと考えられます。

 

◆「一般の人々にいかにアニメを届かせるか」という意識

さて上記でも少し述べましたが、今回監督は「君の名は。」でお客さんに届かせることを意識して作品制作に臨んでいたということを述べました。

とはいえ、監督の今までの作品層は基本的にアニメに興味がある、またはアニメ文化に造詣が深いどちらかといえば「オタク」ないしは「ニッチ」な人々にウケていました。

しかし今回は「幅広くいろんな人に見てもらう」ということを念頭に置いているため、

これまでの作品とは違い「幅広く色々な人に見てもらうには」の対策を打っていると見受けられる部分があります。

 

①「一般向け」アニメと「アニメ好き向け」アニメの感覚のミックス

監督曰くこれは偶発的にできたというふうにおっしゃっていますが、

君の名は。」のキャラクターは「一般向け」アニメと「アニメ好き向け」アニメの両方の成分がうまく融合して動いています。

キャラクターデザインの田中将賀さんは「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」などでも知られる、

深夜アニメ好きなら一度は目にしたことがある「アニメ好き向け」の人々には認知度が高い方です。

一方、作画監督の安藤雅司さんは「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などのジブリ作品を中心に活躍されている、いわゆる「一般向け」アニメを手掛けてきた方です。

そのため、キャラデザはアニメに詳しくない人々からすると新鮮に映る反面、

キャラの表情の動きやしぐさ等は昔見たジブリアニメのキャラクターたちに感じるやわらかさがあるため、

比較的違和感なく幅広い観客に受け入れられやすくなった、と言う効果が生み出されています。

これが深夜アニメ等のノリでつっこんでしまうと、いかにも「アニメ好きが喜びそうな作品」に偏る可能性があるため、

両方の持ち味をミックスしたことで、新鮮だけどなじみのある映像に仕上がっています。

 

②キャスティングと音楽の親和性

また、キャスティングや音楽の起用についても結果的にこの役目を意識した部分はあるのではないかとうかがえます。

劇中音楽には 若者に人気のRADWINPSが起用され、また彼らの曲が劇中にあえて目がひくように取り入れられるという斬新な活用を行っています。

世代ではありませんが大ファンだったという監督の希望もあって今回の抜擢になったそうですが、

作品を宣伝するにあたって「あのバンドが音楽やってるんだ!」というアピールは10代から20代の若年層には響いている節は少なからずあるでしょう。

さらに、主人公やメインキャラクターに有名な俳優や女優を起用したことも、

ジブリ作品ではよくみられる傾向ではありましたが、「君の名は。」の注目度を高めた一因です。

(特に主人公に神木龍之介さんを起用したことは若い世代の女性には大きなアピールポイントとなっているようです。実際私が見に行った時も、彼目当てで見に来たらしきお客さんを結構見かけました…w)

そして特にこれらの起用の仕方も、どちらかと言うと10代~20代にウケがよかったとううのが大きなポイントであると私は考えます。

というのも、現代の10代~20代といえばSNS世代ど真ん中の方々なので

彼らはSNSを中心とした口コミ拡散力、ないしはそれらの情報に対する信頼度が他の世代と比べて高い傾向にあるため、

この世代のお客さんにみてもらう、評判を広めてもらう、ということは、現在の社会では大きな影響力を持つのです。

数々のテレビメディアの朝情報番組でも「君の名は。」が取り上げられるようになったのも、実はTwitter等を中心としたSNS上での盛り上がりが一端を担っています。

 

このように、新海監督はこの作品をより広く様々な人々に見てもらうために

今までの作品と比較するとエンタメ性と大衆性を強めたことがうかがえます。

ですが、その二つを強める上で、監督自身が得意とするシチュエーションや語り口を使いつつ作品を作り上げていったため

昔から新海監督を知っている人も、初めて監督の作品を見る人にも比較的分け隔てなく受け入れられた結果となっているのでしょう。

これもひとえに、新海監督が様々な作品作りにおいて、向上心、挑戦心を絶やすことなく高めていったことが一番の要となっているのだと感じています。

 

…とまあ三日分にわたって「君の名は。」のレビュー的なないしは分析的何かをつづってきましたが、

何はともあれ、色んな人に一回は見てほしい作品です。

ついでにいうともう一回くらいは見に行ってみたくなる作品です。見に行きましょう(真顔)

今回作品の良さを伝えるにあたってつたない文章になってしまったのが私自身の反省点ではありますが、

他の様々なネット上の意見からうかがえるように、一回見てみると気づいたらいろいろ考えさせられる素敵な作品なので

(本当は「震災後の作品としての一つの在り方」という観点で「君の名は。」を分析するのも面白いなあ…と思いましたが…趣旨が違うのとさらに長くなりそうなので割愛しました)

今後もさらに「君の名は。」が見ていない人にも広まってくれることを願うばかりです。

 

新海監督、素晴らしい作品をありがとうございます1

だってそんな簡単に手にできるものじゃないから泣けてくるんじゃないですか

それにしても今回のリオ五輪、日本人選手大躍進でしたよね。

 (今更それ言うかテメエとかいう感想はこの際ご容赦ください)

 

私の周りでも、

オリンピックニュース見たぜ!

日本人選手がんばってるよね!

オリンピック試合見るために夜中まで頑張ったぜ!とかとかな声が

ちらほら聞こえていた8月でした。

 

ところがどっこい、そんな状況の中私は、オリンピックの試合やニュースを、積極的には見ていませんでした。

テレビでの試合は一度も見ていないです。

生中継はおろか、ダイジェスト版でも試合の様子は、見ていません。

 

これを聞くと

「オリンピックにすら関心がない人間なの?」

「興味の有無にしろ一般常識的に見るというのが普通なんじゃ…」

と言ったご意見が人々から寄せられるかもしれません。

 

ただ、勘違いしてほしくないのが、

私はオリンピックに興味がないわけではないのです。

むしろ、今日は日本人選手がどんな結果を出したのだろう、メダル取れたのかな、と気になっていた普通の人間の一人です。

 

では何故あえてあまり情報を追わなかったのか。

泣くからです。

オリンピックのニュースや試合を見ただけで、泣いてしまうからです。

 

最初のころ、私も他の普通の日本人と同じようにオリンピックの結果が気になり

朝通勤電車の中で読んでみました。

読んで一分後、視界がにじんでそれ以上新聞記事を読むことを断念しました。

 

メダルを取った選手、惜しくも逃した選手、

彼らの歓喜の表情、悔恨の表情、日本のメディアが好き好んでつづる選手の裏話…

ちょっと読むだけで、そこにはそれぞれの選手の何かしらの物語があるじゃないですか

ましてやオリンピックと言う選ばれたものたちが集う決戦場、

そんな簡単に立てる舞台じゃない。

だからこそ、そこにたどり着くまでも様々な競争があり努力があり衝突があり様々な人間ドラマがあったはずです。

 

この歓喜、この悔しさには、それまで積み重ねてきた悲喜交々な物語があったんだと思うと、

涙なしにはニュースなんて追うことなんて私にはできなかったです。

 

なので、日々のオリンピックニュースを追いたい気持ちが満々だったにもかかわらず、

追ったらおったで号泣してしまいそのあと到底仕事には使えないっ情緒不安定さを発揮してしまったらそれこそ色々支障をきたすと判断したので

あえて平日はオリンピックのニュースを追わないことにしました。

そして土日にみてボロ泣きしました。

 

何かを成し遂げんとしている人って、

その思いが強い分直面する壁や障害や出会う景色や人々がたくさんあって

その中で邁進していく彼らの姿は、とても魅力的です。

そして、その魅力の裏にある物語も、また魅力的なのです。

 簡単にいかないものほど、泣けてきてしまうって、こればっかしはどうしようもないんですよねえ。

 

ただいつも思うこと。

号泣した次の瞬間には激しい頭痛が追ってくるのは、辛い。

映画「君の名は。」を見てきて「すばらしい!」と思った3つの点 【その2】

日本とアニメの変化から生まれた新機軸ーー-ここ最近のアニメの傾向が幅広く受け入れられた瞬間

次は時代の変化と照らし合わせたすばらしさの点から。

 

この映画、見ていてとても「今のアニメっぽいなあ」と思ったんです。

私は周りからいくら否定してもオタクやと言われるので感覚がオタクよりだと信じた上で言いますけど

純粋に「今のアニメっぽいなあ」と思わせるのにオタクじゃない人たちにも評価されているのが

変化だなあしみじみ感じた一本でした。

 

今のアニメっぽさ、というのがどういうことなのかということについて

自分の中で考えている中で

こちらの評論が読んでいて一番腑に落ちたのでちょと紹介します。

 

realsound.jp

 

上記の記事から抽出していくと、今のアニメらしさを思わせるのは以下の点。

 

 ◆オタク的シナリオゲームに見られる複数世界の可能性

簡単に言うと、いわゆるギャルゲーやエロゲーと呼ばれる

美少女系ゲームに見られる「分岐システム」を物語にうまく取り入れています。

美少女ゲームは基本、プレイヤー自身がゲームの主人公になりきり、

様々な恋人候補の女性キャラクターとどのような会話を交わすか、どのように接するかを選択(分岐)することで

キャラクターの好感度や新密度が上下し、物語の展開や結末が様々に変化するシステムとなっています。

本作のシナリオはそのシステムをうまく応用しており、

そういった物語の展開や結末を、主人公であるプレイヤー側が意識的に変化させることができるという視点を活かして

初めは三葉と現実には出会うことができずに終わってしまう運命を

糸守の御神体というキーポイント(ゲーム的にはセーブポイントと言うべきですかね?ちょっと違うかも…)をを駆使して変えようとする瀧の姿を描写しています。

 

◆エロスやフェチズムを想起させる表現

たとえば一番衝撃的だった「口噛み酒」に始まり、

物語の序盤で三葉が想起する「口噛み酒」のグラビアビジュアル、

そして、三葉の寝相姿をあえて生々しいアングルで描写する姿勢。

(パジャマから見える生脚や息遣いに呼応して揺れる肢体等。

瀧の寝相は結構あっさり描いていたのに対して、彼女の寝相は丹念に描写しているのがなーんか印象的でした…)

そういった決してファミリー向けには表象されないような

人間の内なる欲望やアンダーグラウンド的な表現が、ちらりほらりと忍ばされています。

 

そういった点からも、

君の名は。』がジブリ作品やドラえもんポケモンルパン三世などの

いわゆる国民的アニメ部類に完全に含まれる作品か、と言われると

これまでの流れから考えると含まれないといえるのです。

ストーリーの筋道、所々に見られるキワドイ表現、

そしてここ数年の美少女ゲーム的シナリオに見られるようなギミックは

まどマギSTEINS;GATEなど思い浮かべると符合すると思います)

これまでは国民的アニメの枠組みというよりかは

たとえばコミケや同人ゲーム、深夜放送されるニッチなアニメのような枠組みに

分類されるのが今までの流れでした。

 

ただ昨今の急激に日本国内でのアニメへの評価の高まりや

オタク文化の注目度の向上(これについては賛否両論様々ありますが)の流れも手伝い

そういったオタク的アニメ文化は、徐々に普遍的な社会へ融和していく傾向にありました。

例えばコンテンツ面からいうと

ニコニコ動画を起点としたボカロ音楽などの普及、

ライトノベルの浸透、

細田守作品、「あの花」、「まどマギ」などのアニメ作品のヒットなども

その変化の一旦ととらえてよいともいえます。

 

これまでのオタクらしいギミックを活かしつつも、

キャラクターの「リア充化」(現代のオタクではない普遍的な若者像化)や有名俳優の声優や若者に人気のアーティストの起用、

そして観客のフィクションに求める夢や希望(いわゆるハッピーエンド)を認識したうえでの

エンターテイメント的コンテンツとしての脚本設定等のアレンジを加えたことで

これまでの国民的アニメやオタク的アニメのちょうどいいところをとった立ち位置をこの作品が築き上げたことが、

君の名は。』の大きな功績の一つだと感じます。

 

ちょっと前まではオタクって言うだけで侮蔑的にとらえる風潮すらあったのに

そういう時代をも見てきた人たちにとっては「そんなに売れたの?」という感想を抱かざるを得ないかもしれないですね。

そういう意味でも、時代の変化、日本アニメの進化の表象として『君の名は。』はとらえることができるのです。

 

大学時代にアニメ論という講義を好き好んで受けていたことがあったので

この手の話の観点から『君の名は。』のすばらしさを見出してみました。

今までのコンテンツや文脈、時代背景等を考慮したうえで作品見ていくのって楽しいですねえ。

 

あともう一つは…やっぱり文字数長くなりそうなのでこちらもまた明日以降に。

 

頑張ってたんだと今気づく

TOEICスコアが切れてしまったので

仕事でも英語使いながら不自由できるようになりたいという気持ちも手伝って

勉強始めました。とりあえず12月目標で。

 

私が愛用しているのはこの3冊。 

 

TOEIC(R)TEST 990点満点英文法・語彙 (アスカカルチャー)

TOEIC(R)TEST 990点満点英文法・語彙 (アスカカルチャー)

 

 

 

新TOEICテストスーパー模試600問 (TOEICテスト スーパーシリーズ)

新TOEICテストスーパー模試600問 (TOEICテスト スーパーシリーズ)

 

 

特に2番目の問題集は結構中身がハードな分

本番のTOEICがかえって優しく感じてしまうくらいに思えてくるので

この本でしこたま扱かれて何度も懲りずに繰り返していたら自然と力になるのでオススメです。

ドMな方は特にオススメです。

 

あとリスニング対策にはnprラジオというアメリカのラジオ聴いてます。

政治経済科学音楽と、様々なニュースを英語で聞けるので

アプリインストールしてひたすら聴き流し&耳に英語を慣れさせるということをしています。

私の場合、小さい時から英語に慣れ親しんでいたので

ガチガチのリスニング対策教材より

実際の生の英語を使っているところを聴く方が

英語の感覚とか語感を掴みやすくなるので…

万人にはオススメできないかもですが、なかなか面白いのでよければ。

 

まあ私のオススメは置いといてというかそんな話がしたいんじゃなくて。

 

考えてみると2年ぶりにTOEIC受けるんですが

いやーもういろんな単語やイディオム頭から抜けていて

2番目の愛用スパルタ問題集の一番最初にある実力診断テストで嫌々言いながら問ちゃいました。

 

私は物心ついたあたりからずっと英語はやってきていて

大学に入っても留学したり留学生と話したり英語オンリーの授業受けたりとしていたので

実は働き始めてからが初めてと言っていいくらい英語から身を置いていたんです。

 

そして結果、散々に記憶が飛んだ頭で問題集を解いたあと

英単語帳をパラパラ見返してみると

中学、高校時代に時に必死に、時にふざけながら覚えた単語がとても懐かしく感じてしまい

「今まで気づかなかったけど、なんだかんだで英語頑張っていたんだなあ〜私」と

初めて自分の打ち込みに気付けたのです。

 

英語を勉強している時、話している時は、

特に「自分英語頑張ってる!」て思ったことは一度もなく

ただ「もっと何言ってるかわかりたいから勉強しよ」とか

「知らないイディオムもっと知りたいから勉強しよ」とか

知識欲と好奇心の赴くままに勉強してました。

 

英語から距離置いて、改めて触れてみた今

あの時頑張ってくれた自分のおかげで、

忘れた英単語やイディオムの記憶も少しずつ戻る予感がしたし

(英単語帳読んでて懐かしくて変態的テンションになってました)

スパルタむずい問題集も、よーしがんばるかーと肩に余計な力入れずに取り組む姿勢になれました。

 

あんまり自分のこと、自信を持ったり好きになったりすることなかったですが

今回ばかりは、昔の自分にありがとうを素直に言いました。

 

ただ未だに わからない単語を辞書引く作業が 面倒臭いです(ダメ人間)

 

 

 

 

 

 

 

映画「君の名は。」を見てきて「すばらしい!」と思った3つの点 【その1】

今日は早く帰るんだ!と思っていた日に限って

早く帰れない何事かが起きてしまうのはなんでなんでしょうね…

突発の仕事で思ったよりも残業したことでました疲労を抱えながらも…金曜日に行ってきました…今話題のアニメ映画…

 

youtu.be

新海誠監督の新作、「君の名は。

 

私が新海監督を知ったのは、

一時期TUTAYAでアニメDVDを怒涛のように借りまくっていた時期に(今でもたまにやりますが)であった「言の葉の庭」です。

見た瞬間に「なんだこの素晴らしい才能は…」とほれぼれし、

Z会のCMや建設会社のCMでも彼のアニメーションが用いられるようになって

時代は変わったなーとしみじみ感じていた矢先に、耳にした彼の新作。

ちょっと最近アニメ映画見れてなかったなあ…と思ったので見に行ってみたら。

 

なんかすごかった。

そしてしこたますばらしかった。

 

何がしこたま素晴らしかったかは後述でじっくり語りますが、

何がすごいって、公開一週間以上たっているはずなのに、人、人、人…

ちょうど公開一週間たつか経たないかの頃に実家がある福岡に帰省していたんですが

その際に外に出た時間つぶしに「君の名は。」見に行こう~と思って当日の席照会したら、当日券は基本満席。

金曜日だって、前日にネット予約で席確保していたから見に行けたようなもので

当日行ってみると「満席」の文字が…

『…あれ、アニメ映画ってこんなに人気出るもんなの?』

とまあ周りからオタク呼ばわりされる私は純粋に疑問と戸惑いを抱えて映画を見に行ってきたわけですよ。

 

で感想。

すばらしかった。

物語的な意味でも。

そして、時代の変化的な意味でも、

マーケティングスタンス的な意味でも。

 

昨日見てきたばかりでまだ感動の熱がひかない脳みそでこれを書くのは

主観的になりそうでちょっとチャレンジングなのですが

私の特技は物忘れの早さなので、今回見てきた「君の名は。」にみいだしさ三つのすばらしさについて書き残そうと思います。

 

下手したらこれ数日分になるかもな。

よし、書くか。

※ネタバレするんで見ていない人は読まないことをお勧めします。

 

 圧倒的「愛おしいもどかしさと切なさ」を生んだ、より人の心に寄り添うものと、より人の心を抉るものの存在

まずは物語的すばらしさの点から。
映画のヴィジュアルからもあらすじとかからもこれは二人の恋物語なんだーというのは見る前に予想がつくことはできるでしょうが、
ふたを開けてみたら「監督は多分確実にドS!!」と思うほど
圧倒的「愛おしいもどかしさと切なさ」 がつまった恋物語
 
どういった点が切なくもどかしいのか。
まず一つ、二人は決して出会わずに絆を深めていく点。
そして二つ、二人の生きている時代がそもそも違っている点。
最後三つ、二人のお互いに共有した記憶が消えて行ってしまう点。
 
こんな三つの障害が次々に降りかかってくる二人を見ていると
観客は近所の世話好きなおじさんおばさんの気分に駆られて仕方なくなるのです。
本人たちは最終的には漠然としたもやもやを抱えながら別々の場所で別々の時間を過ごしているのですが
観客側としてはこれまで二人がどういうやりとりをしてきたかが痛いくらいわかっているので
最後のシーンまではずっと二人以上に切ない気持ちに体中締め上げられるのです。
何て拷問。
だからこそ最後の展開5分間はどっと涙腺崩壊によるいろんなものがこみあげてきてしまうので
見終わった後「乗り切ったぞ…瀧も三葉もそして私もこの幾多の難所を乗り切ったぞ…!」という気持ちになるんです。
 
まあ観客の心境的な話はこれくらいにしておいて。
冷静に考えると、ストーリー的には
 ①出会い
 ②絆の芽生え
 ③絆を引き裂く危機
 ④絆の強化
 ⑤絆を引き裂くさらなる危機
 ⑥絆の絶対的強化(HAPPYEND!)
という展開になっていますが、
過去にこういったストーリー展開で人々を感動させ、ヒットを生んだ例は実際に実在するので、ヒットの基盤はこの映画は持っていたんだなと納得できます。
 
例を挙げると、当初アニメの製作元でさえ売れると思ってなかったという
TIGER & BUNNY」の虎徹とバーナビーコンビ。
実際に上のサイクルに話を当てはめてみると
 ①出会い(1、2話)
 ②絆の芽生え(3~9話)
 ③絆を引き裂く危機(10~12話)
 ④絆の強化(13話)
 ⑤絆を引き裂くさらなる危機(16話~24話)
 ⑥絆の絶対的強化(HAPPYEND!)(25話)
という風な筋道をたどった末に、お互いの絆を確固たるものにしています。
 
一般的なストーリー理論的には、二人の絆や愛情を育む系ストーリーには
「障害(絆を引き裂くようなアクシデント)」と
「小道具(登場人物に絆を深めるor助けるキーとなるもの)」が必要です。
なので問題はその小道具や障害をどういったものにして構成していくかが、
脚本を作る人の腕前にかかってくるのですが
新海監督はその障害や小道具の選び方、
それを選んだうえでの物語設定がとてもうまかった点が今回拍手をたくさん送りたいポイントです。
 
どうして選び方がうまいと思ったのか?
①「言葉」だけが二人をつなぐ鍵
基本的に二人の絆には「言葉の存在が欠かせません。
たとえば、瀧の持つダイアリーアプリ上の近況報告や
不満が爆発したために体に書いた罵倒や
ノート上に書かれた疑問、不満。
そして、後半でお互いの手に書き記した、記憶消失にあらがうための文字。
この映画では様々な種類の媒体を利用して互いの思いをぶつけあっています。
直接話すことも、触れ合うこともできない二人だからこそ
様々な種類の「言葉」だけが、二人をつなぐキーと言うところに
親密さと切なさを余計に感じてしまうのです。
 
②「時の隔たり」と「記憶の消失」という抗いがたい障害
この映画の冒頭だけ見ていると、この二人の障害は「距離の隔たり」だけなのでは?と思ってしまいますが
実際はこの二つが二人にとって大きな障害になっています。
「時の隔たり」では、生きる時代が違うという設定だけでなく
片方はもうすでに死んでいた、と言う設定のダブルパンチで衝撃を与えます。※
それでもあきらめずに互いに相手に出会うため奔走しますが、
さらに立ちふさがるのは「記憶の消失」
「記憶の消失」 では、「時の隔たり」よりもさらに厄介な障害と言うところがミソで
彼らの頭の中の記憶だけではなく、彼らの絆をつなぐキーである言葉さえも消失していくという設定が
見ている人に運命の辛辣さを感じさせてしまうのです。
 
※もちろん、この「衝撃的だった!」という感想を観客に抱かせるのは
この映画の宣伝担当の方の「どのような情報を事前に与えたら人々はより物語に引き込まれるか?」をよくわかった上でプランを汲んだ手腕によるところも、十分あります。
 
要約すると、新海監督は物語を組み立てる上で
小道具はより人の心に寄り添うものを、衝撃はより人の心を抉るものを、というチョイス・設定を行った結果
観客に「愛おしいもどかしさと切なさ」 を感じさせる作品となっているのです。
 
 
ちなみに。
物語のすばらしさについては、瀧くん役を務めた神木龍之介さんもいい感じに熱弁してくれてますので
こちらも参考に。

緊急決定!『君の名は。』特番+『秒速5センチメートル』本編 - LINE LIVE

 

この特番2016年9月17日配信までらしいので要約すると

「新海監督の得意とする『距離感の切なさ』が『君の名は。』でも爆発している!」

もし『君の名は。』を見てこの新海節がすき…!と思った方は

過去の新海監督作品を見ることをおすすめします。

そして私も見ます(真顔)

※ちなみにこの配信「秒速5センチメートル」も見れるというお得な映像ですよ奥さん

※ところでこれ見て神木さんガチで新海さん作品好きなんだなとひしひし伝わってきましたよ…その愛情素敵です…

 

ちなみに私が個人的にぐぐぐっときたのは

一番最後のシーンですね…

いやもういろんなシーン心に残っているから一つに絞るの難しかったんだけど

最後のシーンのあの間は、ためらいの間は、とても日本美だと思ったんですよ。

一言でいうと奥ゆかしい。

 記憶がはっきりとしないからこそ、心に湧き上がる喜びと

自分の妄言だったらどうしよう、関係ない人だったらどうしよう、という疑心暗鬼さのはざまで揺れる二人の姿を見て

個々が一番奥行きがあるところに感じてしまって仕方なかったんです。

出会ってすぐぬか喜びできないだけの障害を体験した後の二人だからどうしても奥ゆかしく感じてしまいました…今思い出しても震える。

 

気付いたら3500文字近く行ってたので我ながら震えました。

予想通りではありますが、残りの素晴らしさについては明日以降つづろうと思います…お粗末様でした。

 

 

 

 

 

恋愛と物語

生まれてこの方あまり恋愛経験なく今日まで過ごしてきているけど

にもかかわらず、というべきか、だからなのか、というべきか

今やたらと自分の良いと思う恋愛シチュエーションとはなんだろうと考えている。

 

この間母と話していて

「自分の人生でこれだけは大事にしたいと思うものって何?」

と聞かれて

「『自由』だなあ」

と思った時点で、私が恋愛というものさえも自由を脅かすと思って避けてきたのかもなあと気づきはしたが。

かといって恋愛によって得られる胸のときめきだとか、快さとかは、欲しいと思っているという気持ちの表れかもしれない。

人間はつくづく身勝手な生き物だという生き証人。まさに私。

 

それはまあ良いとして。

 

そもそもきっかけは何か話でも描いてみたいなと思ったからだ。

どうせ描くなら自分の好きなシチュエーションを詰め込まないと

飽き性な私には長続きやしないと感じていた。

それで、好きなシチュエーションは何なのだろうかと考えを巡らせていたのだ。

 

ではなぜ恋愛を持ち出したか。

面白いのだ。物語はだいたい恋愛が絡むと面白くなる。

 

人間の感情の揺れ、理屈ではない無根拠な行動、そういったどうしようもない突発的な動きは

大抵物語に躍動感や奥行きをもたらす。

もちろんそれだけでは話が面白くなるわけではないので、

イデアやストーリーの筋道が必要になるが

恋愛はそれ一個のテーマで話が作れてしまうので、何かと便利が良い上に面白い。

しかも、キャラを作った上でそのキャラ達に恋愛というテーマをぶつけさせたとき

どういったリアクションをするかの化学反応が面白くなるという利点もある。

(ただし、そのキャラが難儀なやつだとものがたりの進展が滞って逆に困ることがあるが)

 

まあそんなわけで何が言いたいかというと。

プロットにつまってる。

 

 

 

 

【No30】UNIQLO AND LEMAIRE

www.uniqlo.com

 
私の愛読ウェブ漫画「服を着るならこんな風に」が突然ガチでユニクロルメールコラボ宣伝したので
(普段は「イニクロ」というユニクロが元ネタのお店で話進むので、本気で誤植かなと思いました)
試しに検索してみたら特設サイトありました。
前からユニクロはウェブ周りで結構面白いことちょくちょくやっていて
カンヌ広告賞で受賞履歴もあるほどなのです。
今回はそんなユニクロルメールとのコラボ特設サイトを分析。
 
(1)情報とページの上手い使い分け
 1ページがメインのレイアウトはコンテンツ量が多くない特設サイトにはよく見られるレイアウトですよね。
で、部分的に別ページに飛べるようにしているのは、集中して読んでほしいところ、見てほしいところだけ。
(ネットショップページ、ルメールコラボについてと宣伝ムービーのところだけ)
スタイルブックとコンセプト紹介については、主に今回のコラボの服紹介に関わるところだから
検索で来た人に真っ先に提示できる情報として表示しているのだと思います。
来訪者が一番気になるのは、「どんな服があるんだろう?」と言うことですからね。
こういった一ページレイアウトは、検索で訪問してきた人にすぐ情報を渡すのにはきわめて利便性が高いです。
その分、数多くの商品や情報を伝えきるには、一ページで収まるのは難しい。
そういう時に、うまーく情報とページの分類を考えるのがデザインの腕の見せ所なのでしょう。
 
(2)ウェブとスマホとの体験の違い
んで、もしかしたらと思ってタブレットとパソコンの方からサイトを見てみたんですが
やっぱりそうだった。ちゃんとタブレットかPCなのかによってサイトの動きが違います。
例えばルックブックの写真。PCではマウスオーバーするだけでシェアアイコンが登場します。
タブレットスマホはマウスオーバーという概念はありません。代わりに、これと近い体験をタブレットで実現させるため
一回写真をタップするとシェアアイコンが出てくるようになっています。
また、PCサイトで常に表示されていたサイドのナビゲーションは、
スマホやPCの場合だと、左上に横線三つアイコンを表示、
タップするとメニューが現れる、と言う風になっています。
現在は、ときにPCからのアクセスではなくスマート端末からのアクセスからの方が多いこともある時代。
そういうことも踏まえて、ユーザーがどのデバイスからアクセスしても使いやすい、かつ機能的であることは、サイトに備わっていて当然の時代になっているようです。
 
今回はあえてサイトのシンプルさなどについての説明はしませんでした。
というのも、最近、こうやって分析するのは楽しいんだけど、
分析してみて気づくことがどーしても毎回同じものに寄ってしまうからです。
自分のレイアウトに対する知識が少ないな〜というのを切実に感じております。
ちょうどいい本も見つけてるので、ここらで一度またレイアウトの知識頭に詰め込も。